自己肯定感について僕が思う事
こんにちは、タートルです。
皆さんの力を借りて、これから、コラムで記事を定期的に乗せさせて頂きます。
今回は自己肯定感について思うことを書こうと思います。
僕がなぜ自己肯定感についての記事を書きたかったのかというと、極端に自己肯定感が低いと生きづらいのではないかと思うからです。
僕自身も長いあいだ自分を認めることができず、生きづらさを抱えてきました。
そのため、今生きづらさを抱えている方のために、僕の経験をふまえながら自己肯定感について紐解いていきたいと思います。
引きこもっていた7年間
僕の引きこもっていた7年間の時の話を書きたいと思います。
自己肯定感が低い時の話です。
その時の、生活環境は
・自宅に過ごしている時間がとても長い
・兄、父親とは会えば喧嘩をするような関係
・母親は早く外に出て、学校or仕事をしてほしいと心配している。
といった感じでした。
やることは
・買った本を、ひたすら読んで知識を増やしていく日々
・マスクをつけながら、コンビニか本屋で買い物をする
などで、この七年間は、人と関わることがあまりありませんでした。そのため、傷つく事は少なかったけれど、感情的には楽しくない日々でした。
こんな七年間だったので、自己肯定感は低かったです。
でも、自分を守りたいという、自己愛は強かったです。
そしてどのように、肯定感が上がっていったか
僕の自己肯定感がどのようにして、上がっていったかというと先ずは
家族の中の不調和から、改善していきました。その中で一番の壁が、父との不調和でした。
意識としては父を上から目線ですが、許す!です。とにかく許す!
そうして、父との関係は改善されました。そして、次が外でのコミュニティーの中での、攻撃的な自分の改善、意識は自分のためという考えを全く逆の
人のためという考えにシフトしました。
具体的に言うと
・困っている人がいたら助ける
・何があっても怒らない
・プラスの感情はどんどん出す
この三点でかなりコミュニティーの中の僕は改善されました。家族と外での自分を認められ、僕の自己肯定感はかなり上がりました。嬉しかったです。
僕の中の自己肯定感
僕は7年前自己愛性パーソナリティ障害と診断されました。
だから、自己愛という言葉に、トラウマというか、拒否反応があるんだと思います。
普通、自己愛という言葉を見て僕ほどの反応はしないと思います。
僕の自己愛のイメージ
・ワガママ
・社会性がない
といったイメージが強いです。
自己肯定感の高い方の中には自己愛とそんなに変わりないのでは?という人もいるかもしれません。
僕の自己肯定感のイメージ
・人の中で、満たされてるような気持ち
・承認欲求が満たされてる気持ち
でしょうか
でもここまで記事を書いて気づいたのが、そんなに肯定感も、自己愛も
ほどほど必要なのではないかと感じてきました。
なので、肯定感が強ければ正解とか、自己愛が強いから良くないということではないと思います。
ただ、人と接する社会という枠組みで、自分を認める自己肯定感は大切だと思います。
ここまで記事を読んでくださってありがとうございました。