ハウスには、様々な方がいらっしゃいます。たま~にふらっと訪れる方も、毎週のように訪れてくださる方も、週5で訪れてくださる方もいます(笑)。
1年ぶり、2年ぶりという方も。
そんな方がいらした際には、もしかしたら、スタッフや来る方が変わっていたり、雰囲気が変化していたりすることもあるかもしれません。
そんな時、ほんとうの意味で「おかえりなさい」と言える存在でありたい。
それが、わたしがハウスで叶えたいと思っている夢のひとつです。
実際今日も、ハウスに来るのは2年ぶりという方がいて、心境の変化についての話や思い出話に花を咲かせました。
今日一番印象に残ったのは、「自分自身との向き合い方」についての話です。
ココトモハウスに来てくださる方の中には、トラウマや様々な事情を抱えている方も多くいらっしゃいます。
その結果、うまく感情を吐き出せなかったり、抑圧や我慢がクセになっていたりすることも。
例えば、誰かに対して苛立ちや怒りの感情を抱いた時に、「相手を責めるように考えてしまう自分は心が狭いのではないか」「こんな想いを持つなんてダメだ」と自分を卑下、否定した経験はありませんか?
たしかに、苛立ったまま接して相手を無意味に傷つけてしまうことや、怒りに任せて相手をただただ責めるような言動をとってしまうことは、いけないことかもしれません。
結果として、自分自身の立場を悪くしたり、大切な繋がりが途切れてしまったりすることもあると思います。
しかし、その根底にある「苛立ち」「怒り」といった感情は、もってはいけないものなのでしょうか?
苛立つということは、何か自分の大切なものが侵略されていたり、傷ついたりしているということ。
怒るということは、相手に対して何か期待していたり、何か犠牲にしてしまっているものがあったりするということ。
感情を持つからこそ、わたしたちは、自分の行動をかえりみて、自分の大切なものが何かに気づくことができます。
例えその感情があなたにとっては見たくないような、醜いと思えるような感情であったとしても、その感情も含めて、大切なあなた自身です。
そんな書き方をすると、かえって「こんな感情を持つ自分自身が醜いのか」なんて考えになってしまうかもしれないけれど……。
どんな感情も大切なあなたの一部だから、どうか否定せずに受け入れてあげてほしい。
あなたが考え、感じることを、存在そのものを、認めてあげてほしい。
今日お話を伺っていて、そんなことを感じました。
存在を否定するというのは、とても酷なことです。
今日訪れた方は、わたしを含めた全員が「来ないでほしい」など存在そのものを否定するような言葉を受けた経験を持っていたのですが、話を聴いているだけでも胸が苦しくなってしまいました。
わたしは子どもの頃、母親から「あんたなんか産まなきゃよかった」と言われたことがあります。中学生の頃、クラスメートから「邪魔だから学校に来んなよ」と言われたことがあります。
これまで生きてきて、これでもたくさんの苦しみや悩みを乗り越えてきたと思っているのですが、これらの発言は、今でもチクッと痛むことがあります。
生きていていいのか?
わたしに価値なんてあるのか?
そんな想いを育ててしまうことも、珍しいことではありません。
でも、だからこそ、わたしはココトモハウスや様々な場で人と話す時に「存在そのものを受け入れる」ところからスタートできています。存在を否定するような言葉は決して使わないようにと意識することができています。
そのおかげで相談していただくこともあり、しかも「たかれんさんに相談して良かった」なんて言ってもらえることも。
図らずも、苦しいつらい過去がわたしにあったからこそ、わたしは目の前の人を少しでも楽にできているのです。
同じように、あなたが今抱えている苦しみや痛みは、いつかどこかで誰かを救うことにつながるかもしれません。
もちろん、すべての苦しみをそうしようとする必要はありません。
「いつか役に立つから」と無理に向き合おうとする必要もありません。
つらいものはつらい。苦しいものは苦しい。それでいいんです。
そんなネガティブな感情も、ポジティブな感情も、どんな感情も、決して否定しなくていいんです。
どんな感情でも、吐き出してください。
話すことでほんの少しでも肩の荷が降りるなら、いくらでもお聴きします。
吐き出したいものは吐き出せる。
話したくないことは話さないままでいられる。
あなたがあなたらしくいられる、
そんな場をこれからも作れるよう精進していきますので、これからもよろしくお願いしますね。