優しくできるのはすてきなこと。でも優しくできなくても大丈夫。

今日は終始少人数で、あたたかい玄米茶やココアを飲みながらまったりゆっくりお話ししました。

特に印象的だったのは、“困っている人がいると放っておけない”という話。
ある人は、駅などで困っていそうな外国人がいると、つい話しかけて案内してしまうのだそう。
募金活動を見かけたら少額でも出そうとする、地震などが起こると自分に何ができるのかを常に考えている……そんなお話しを聴かせていただきました。

わたしは中学生の時に介助犬(身体的な不自由などを抱えている方の生活をサポートする犬。聴導犬や盲導犬とあわせて「補助犬」とも)を育てるNPO団体の手伝いをしていたことがあり、募金活動などもよくやっていました。
寒空のもと犬たちと懸命に活動への支援を呼びかけるのは、いつも大変で。
それでも、「がんばってるね」と声をかけていただいたり、温かい飲み物を差し入れしていただいたり、そんな心遣いが活動のエネルギーになっていました。

ハウスにはよく、「困っている人がいると放っておけない」という方がいらっしゃいます。
自分が、困った、つらかった、苦しかった経験を持っているからこそ、同じ立場にいる人のことを見て見ぬふりができないのですよね。

困っている人がいたら話を聴く。自分にできることは何かと探す。
それは、とても素晴らしい、愛に溢れた行動だと思います。

けれど同時に、「そうでない時の自分を責めないでほしいな」とも思います。

愛情というのは、無限に湧いてくるものではありません。
疲労が溜まっていたり、時間に余裕がなかったり、悩みを抱えていたり、葛藤があったり。
そんな小さなきっかけで、「愛情」は簡単に飢えてしまうものなのです。

今日訪れた方は、「以前は積極的にやっていたけど、今は自分からはできなくなった」「冷たくなったと思う」と言っていました。
でも、本当にそうでしょうか。

仕事や環境が変わってすぐの頃や、自分に対してなんらかの大きなコンプレックスを持っている時に、人に優しくだなんて、できるはずがないのです。
そんな時にまで人に優しくしていたら、いつか心身の不調を招いてしまいます。

だから、人に優しくできないな、なんとなくつっけんどんな態度をとっちゃうなと感じたら、ぜひ自分に目を向けてみてください。
自分に余裕はあるのか? 自分に愛情は足りているのか?
そんなことを考えてみたら、少し見える世界が変わってくるかもしれませんよ。

また、「どんなイベントがあったら参加してみたい?」という話も。
楽しそうなものから本質的な話ができそうなものまで、様々なアイディアがうまれました(*´`)

こうやって、何か新しいものをみんなで考えたり、計画したりするのは、楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいます。
近々正式なお知らせができるかと思いますので、皆さんお楽しみに☆

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