こんにちは、30代女、ザネです。
教科書通りの生き方。
自分が嫌いだった私。
今は、
「まぁいっか、まぁ好きかも」と思える。
何が変わったんだろう。
苦しいことは変わらずあるけど、
何で、前より少しだけ楽に生きられるんだろう。
今回私は、これを読んだ人が、
「なんとなく明日頑張ろう」
「ちょっとわがまま言ってみよう」
「この人とエビ料理一緒に食べにいってあげようかな」
と思ってくれるよう、願いを込めながら書きました。
■否定が怖かった子ども時代
我慢が日常的だった。
警察官の父によく感情のままに叱られたせいか、
正しいを突き付けられてがんじがらめになってたせいか、
自分をすり減らしてでも人のために尽くす母の背中を見ていたせいか、
自分がされて嫌なことはしない!という先生の教えをきつく守ってたせいか
田舎で世間体が大事な環境だったせいか、…分からない。
我慢が当たり前だった。
だから、我慢してないように見える人、
常識や普通を逸脱して自分を貫く人を、
わがままだと思っていたし、どこか許せなかった。
今はもう、羨ましさと憧れと、少しの嫉妬しかない。
現に、今、大声で歌いながら歩く人を見ると「自由でいいねぇ」と思うし、
禁煙の職場で「煙が出ないからいいでしょう」といいながらニヤニヤアイコスを吸う人も許せるし、むしろ自分に素直で好きだとすら思う。
小さい頃の未熟な私は、我慢しないと、わがままだと、誰かに非難されると思ってた。
「否定されること」を恐れ、その先にある「嫌われること」を最も嫌ってた。
だから、「ダメ」「おかしい」「違う」「悪い」に人一倍敏感で、その言葉と目が、自分に向けられないよう必死だった。
「あの子は家がお金持ちなのを自慢しているよね」という陰口を聞けば、
…ふむふむ、旅行行った話はしない方がいいんだな、習い事行ってることも言わない方がいいのか、可愛い新しい筆箱はもっていかない方がいいな。メモメモ。
「ザネ流★超絶対嫌われない教科書」を自分なりにカリカリ編集していった。
その教科書は、私の「したい」を打ち消すものだった。
本当はあの子の手伝いしたいけど、「いい子ちゃんぶっている」って「先生に媚び売っている」って言われることが怖いから見ない振りしよう。
とか。
本当はこの少し奇抜な服着たいけど、みんなが言っていたよね、「こういうの着こなせるのは可愛い子だけだよね」って。「可愛いと思ってんの?」「目立とうとしてるね」とかって陰口言われたら嫌だから、いつもの服でいいや。
とか。
そんな風に、せっせせっせと編集した『嫌われないための教科書』は、
これまで出会った他人の言動によって成り立っていた。
他人の中に自分の在り方を見出してたら、
いつの間にか、自分の「したい」はどっかに行ってしまっていたのに気づけてなかった。
“お前さんが目を向けてくれんからさらばじゃ”と見切りをつけて旅に出たか、
“どうせ相手にしてくれないなら別にいいよーだ”とふてくされて
それはそれは奥の部屋に鍵かけて閉じこもってしまったか。
■「自分が嫌い」それに気付いた出来事
高校3年生の頃、大学の推薦入試を受けることにした。
(入試にお金をかけない方法を模索していたんです!)
初めて自分を推薦するなんていう、なんとも大胆でおこがましい場面に出くわした。
提出する自己PRを書くため、小学校からの友人に、少し照れながら、でもこれが一番手っ取り早いよねと思って、あることを尋ねた。
「……私のいいところってどこかなぁ///?」
その時かえってきた言葉は
「真面目。」
‟面白くない人間”
そう言われたように感じた。
付き合った記念日とか、ゲラゲラ笑い転げた理由とか、去年どこに旅行に行ったとか、すぐ忘れてしまう私がこの時のことを鮮明に思い出せるのは、本当に本当に、ショックだったから。
(これを書きながら辞書で「真面目」をひいてみたら、今思うと誉め言葉だなって思えたのですが、その当時はショックでしかなかったのです。)
悔しかった。
自分が嫌いだった。
自分を生きてなかったから。
それに気付いた、18才。
■「自分の良さ」「自分らしさ」ってなんだろう。
今の私は、真面目とは結構遠い。
後で書く小さな経験で、
これで、大丈夫だよね?うん、大丈夫だ。よし、大丈夫だったね。
って、確かめるように、バカ重くて踊りづらいクソ真面目の鎧とは徐々にサヨナラしていった。
今の私は遅刻をする。
「どうしても髪型がうまくいかずに遅刻しちゃった、てへへ、どこで佐藤健くんに会うか分かんないし!」(←早く起きればいいじゃん!)
今の私は旅行の下調べを、全くしない。
「だって、あなたとならどこ行ったって楽しいじゃん♪」(←人任せにすな!)
今の私はときどき人の話を聞いていない。
「…は!今日の夜のドラマ、録画予約したか不安になってました!」(←言い訳にならない!)
/
「いや、遅刻は人としてあり得ない!人の時間を浪費している!」
「一緒に旅行に行くのなら人任せにせず下調べすべき!」
「人と話しているときに別のこと考えるなんて失礼だ!」
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そう否定されても仕方ないな、と思うような主張をしている。
「いい加減な奴だ」と誰かに嫌われているかもしれない。
でも今は、まぁまぁ自分のことが好き。
自分の「したい」を大切にしているからだと思う。
だから誰かの「したい」もあっさり許せる。
禁煙の職場でアイコス吸いたい、も、笑えてしまう。
今、私のいいところを誰かに聞いたとき、真っ先に「真面目」と言われるだろうか。
今なら、真面目と言われたところで「ウェーーーーイ♪」くらいにしか思わないのだけど。
■「いつから、なんで、自分の想いを口にできるようになったんだっけ?」
思い返した。
たぶん大学生の頃(正確には卒業する頃)あたりから。
誰にでも認めてもらえるキッチリとした枠の中だけで住むようになっていた少女ザネ。
少しだけ勇気を出して、恐る恐る、汚れてない靴で踏み出していた。
「大丈夫こっちにおいで!」と手を引いてくれるまではないまでも、
「うん、いいんじゃない?」くらいのレベルで、否定せず、見守ってくれる人たちに出逢えたから。
大学時代、信頼できる人たちの中で、
私は自身の小さな枠からはみ出し拡げていく、勇気をつけていった。
「エビ料理が食べたい!」
「変だと思われても着たい服を着る!」
何てことない自分の「したい」。
昔、自分自身が他人に向けて「それ、わがままだなぁ」「よくできるなぁ」と思ったことでも、湧いたら言う、やってみる。
言ったこと、やったことを否定せず「うん」と受け止めてもらえるから。
それが嬉しかった。
■キャッチボールして、信頼の紙を重ねて、それか愛情とか自信になる
最初から、信頼できたわけじゃない。
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怖いけど相手を少しだけ信じて、
「毎回毎回だけど、エビ料理食べたい…」って投げたい球を投げる。
「またか(笑)好きだね!」ってキャッチしてもらえる。
「あんまりお金ないからカフェがいい」って投げ返してくれる。
「あぁコーヒーも飲みたいね」、わたしもキャッチする。
一瞬、頭のなかで ((( お金ないって……断られてる? ))) ってよぎるんだけど。
投げたい球を投げてもらえたことが嬉しいから、バウンドしてもいいから、トンネルしてもいいから、追いかけて拾うんだ。
よし、また投げたい球を、信じて投げてみよう。
「じゃあさ、エビアボカド丼のあるカフェ探してみよう!」
今度はさっきより怖くない。
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愛情、友情、自信って一層一層、実はうすーいA4一枚の紙みたいな、トレーシングペーパーみたいなものが積み重なった塊みたいなもので。
キャッチボールしながら、キャッチしたり投げたり、投げ返してもらったりして、
信頼って紙を少しずつ積み重ねていって、500枚くらいかな、ずっしり重みを感じるくらい重なったとき、ようやくそれがあることに気付けるんだって思った。
(どこかで聞いた話を体感した感じ)
周囲の肯定の目のお陰で、少しずつだけど、小さな「したい」が顔を出せるようになってきた。
ちっぽけな「したい」が帰ってきた。
おかえり。
ただいま。
■否定は誰かを、自分を、ぺしゃんこにする
息苦しかった昔を思い出す。
地元のスクールカースト上位層は、否定的な発言が多かったなぁ。
し、自分も馴染むためにそうだったかもしれない。
みんな確固たる自分の位置を確立させたい。
上位であるために、誰かのキラキラのひょこっと顔出す芽を摘もうとしていたんだろうな。
「普通に考えて、それってダメじゃん?」
「常識的にあり得ないよね!」
その発言力の重圧は、人の口から出たときより自分の口から出たときの方がもっと、
重みと大きさを増して、自分の自由をぺしゃんこにつぶしていった。
まだか弱く新芽レベルのわたしの「したい」は、今でも、
誰かの常識の重圧、自分の中にいる常識ババァの理屈にぺしゃんこになりそうなことが、実はよくあるけど。
■結局のところ、自分を好きになる!って?
ありふれた言葉。
自分を好きになる。
その意味が分からなかった過去の私。
誰かに嫌われないことで、自分の価値感じてた。
男性と付き合えば、好きでいてもらうことに精一杯。
この人に何か弱みを握られてるんかいってくらい。
我慢に我慢を積み重ね、相手の期待通りにして、
相手の「好き」にしがみついてた。
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自分を好きになるためにすることは、
我慢ではなく、
誰かの好きにしがみつくことでもなく、
自分の「したい」を積み重ねること。
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今だから、そう思う。
「我慢がしたい」なら、それでもいいと思う。
でも一生我慢は辛すぎると思う。
周りを信じて、「したい」を言ってやってみて初めて、自分を生きている実感がわくことを知った。
そう、私にとっては、「エビ料理食べたい」「変だと思われても着たい服を着る」それを否定せずにキャッチしてもらえたこと。
それだけで少しずつ自分を生きる勇気が湧いた。
びっくりするくらい小さなことなのに。
「したい」をして、自分を生きて、自分が好きになる。
■自分の「したい」を外に出すには、肯定してくれる“誰か”に出逢うといい。
だって、その「したい」は一部の人に、間違っているとか、自分勝手だとか、浅はかだとか、‟否定の対象”になるかもしれない。
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「したい」は、とっても繊細なんです
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肯定してくれる人がいる、見守ってくれる人がいることで、恐る恐るでも、自分の小さな愛すべき「したい」が顔を出せる。
いま、昔の私のように自分が嫌いで、自分を生きていないと思う人は「したい」のボールを誰かに投げてみてほしいなと思う。
今はまだ、投げるのに憶病かもしれないけど、
キャッチしてくれそうだと信じた相手に、投げてみて。
自分が、生き生きしてくるはず!!
■なぜココトモハウスのスタッフをするのか
ココトモハウスは、「したい」を口にしやすい場所だと思うから。
それは世間一般に価値あるとされそうな「したい」であるとかは、関係なくて。
「仕事せずに寝ていたい」だったり「本当は好きな仕事したい」とかでいいと思う。
ココトモハウスに訪れる人は、少し疲れた人、誰かに自信の紙を奪われた人、愛情の積み重ねが崩れてしまった人、ちょっと不器用な人が多い。
だから、ここにいる人は、相手の「したい」の大切さや尊さを知っている。
すぐに自分を好きになれるわけじゃない。
愛情や友情や自信は、薄い一枚のペラペラのA4用紙やトレーシングペーパーみたいなものの塊だから。
たくさん重ねていって初めて実感できるものになるから。
実感できたら、「えーエビ料理?やだー」「何その服、ダサ!」って言われたって、平気。
そんな小さな否定や反論は気にならなくなる。一枚紙が奪われたって気にならない。後ろには実体として感じる愛や友情や自信があるから。
ココトモハウスや、どこか「したい」を大切にしてくれる‟場”でキャッチボールして信頼を積み重ねてほしい。
“場所”で積み重ねると、ドサッと積み重ねられるし、何かのエッセンスがのりとか接着剤になって、強くなると思う。
■今、私の「したい」は
「エビ料理食べたい」「カフェで美味しいコーヒー飲んでうふふオシャレと思いたい」「休日はパジャマでいたい」とか、そんな小さなこともたくさんあるけど。
「誰かの“したい”をゆっくり外に出す勇気を出す、お手伝いがしたい」(長いし、出す2回言っちゃってる!)
きっとそうすることで、私が、自分を生きていく勇気が湧くって信じてる。
■最後に…
甲殻アレルギーの方、エビエビ言って、申し訳ありませんでした!
ちなみに、イカもカニも大好きです!
あぁ、エビマヨ食べたい!!!!