管理人交代のお知らせと僕がココトモハウスという居場所を大切にする理由
皆さん、こんにちは!ジョジョです。本日は、管理人の交代についてお知らせし致します。これまでりんさんが管理人として頑張ってくれていましたが卒業し、この度、私ジョジョが管理人をすることになりました。
りんさん、本当にありがとう!管理人は変わりますが、ココトモハウスはこれからも”みんなの居場所”として、変わらずやっていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします!
改めて、自己紹介をさせてください!
僕のことを知っている方もいると思いますが、僕の自己紹介もかねて、その思いを皆さんに伝えたいと思います。少し長くなりますが、お暇な方はぜひお付き合いください。
これまで誰にも話せなかった、本当の自分のこと
これまで、あまり公に語ってきませんでしたが、僕は重度のギャンブル依存症でした。僕の人生を箇条書きにすると、ざっとこんな感じです。
・18歳でサラ金から借金
・大学在学中に借金は100万円の大台に
・人生に迷い、占い師を5年間
・20代で債務整理を経験
僕はみんなが青春を謳歌している間、ギャンブルにまみれた本当の自分を隠し、ただただ深い孤独の中にいました。そんな僕がどうやってココトモハウスと出会い、そして今に至るのか。そしてこれからの未来に思うことを書いていきたいと思います。
ビギナーズラック、しかしそれは地獄への呼び水だった
いまでも覚えていますが、僕のギャンブル人生の始まりは18歳の時、大学生になってアルバイトを始め、小金と時間だけはある、そんな時でした。
それまでパチンコとは無縁の生活をしていた僕は、友人に誘われて軽い気持ちでパチンコを初体験します。その結果なんと、
3千円がわずか1時間で1万8千円に!
その時は時給800円のアルバイトだったので、たった1時間でバイト2日分ものお金が増えたことに得意になり、その後ちょくちょくパチンコ屋にいくようになりました。このビギナーズラックが地獄の呼び水になるとは知らずに・・。
学校にいかず、パチンコ屋に入り浸る
当時、大学生だった僕は、明確にやりたいことがあるわけでもなく選んだ大学になじめずにいました。
自分でいうのもなんですが、高校までは真面目で、意欲をもって勉強してきた自分にとって、大学に通うことは無意味にしか感じられず、通うことが苦痛になってしまったのです。
かといって、親の目がある手前、家にいることも気まずく、僕が現実逃避する場所として選んだのが、パチンコ屋でした。
この頃は賭ける金額も少なく、勝ったり負けたりといった感じでしたが、学校にいけずにパチンコ屋にいく自分にますます嫌悪感を覚え、その気持ちの解消がギャンブルに向かっていくという悪循環に陥ってました。
給料日に大負け!そして18歳にしてサラ金へ・・
出典”bokete”
パチンコを始めて半年。僕はもはや学校への興味を完全に失っており、時間があればパチンコ屋にいりびたっている日々でした。そんなある日のこと、僕はバイトの給料をすべてパチンコに使ってしまいます。
普通であれば、ここでまず親に相談したり、友人に相談したりできるのだと思いますが、僕は学校にいかずギャンブルでお金がなくなった、なんてことを誰にも話すことが出来なかったのです。
もしもこの時、正直に誰かに相談できていたら、
と今でもふと考えてしまうことがあります。
この状況をどうすればいいのか。まさしくリアルに”どうする、アイ〇ル”という気持ちでした。
途方にくれて、ネットで調べていると、目に飛び込んできた言葉、それはキャッシングでした。
こうして、僕は震える足で無人貸出機へと向かい、なんと18歳にしてサラ金から借金をすることになります。こうして僕は、誰にも言えない秘密を、1つ、また1つと積み重ね、見えない鎖に縛られるように、どんどん苦しくなっていきます。
留年、事故。ついに借金は100万円の大台に
当たり前ですが、学校にほとんど行ってなかった僕は当然のように留年します。5年目に残っていたのは、なんと64単位。5年目にして、約半分の単位が残っていました。
さらに、5年目の学費は自分で払わなくてはいけず、鬼の様にバイトをしてました。(借金返済のために時給が高いバイトを探した結果パチンコ屋でバイトをし、またパチンコに使うという、支離滅裂な生活を送っていました)しかし、そんな矢先に、最悪の出来事が起こります。
なんとバイクで事故を起こし、40万円の借金を背負ってしまったのです。5年目の学費も含め、
ざっと必要な金額は100万円!
当然、僕はここでも誰にも相談できず、さらにサラ金から借金を重ねます。当時はサラ金全盛期で、学生でもこんな大金が借りられたんですね。(ちなみに金利は29%、金利だけで5万円ほど返していたように思います。)
こうして僕は、朝から晩まで、週5で大学にいき、借金を返すためにバイトをするという地獄のような日々を送っていました。
卒業、社会人になるもリストラにあう
そんな僕でしたが、なんとか大学を奇跡的に卒業します。もちろん、バイト漬けの毎日だったので新卒の就活などできず、なし崩し的に人材派遣会社に就職しますが、半年後にリーマンショックが起こり、リストラ。
なんとかしようと就活をするものの、中身のない、薄っぺらな人生しか送ってない人間を採用する人はおらず、まったくうまく行きませんでした。周りでばりばり働く友達をみて、僕の孤独はますます深まるばかりで、ギャンブルにも依存する毎日でした。
人生に迷い、占い師に。20代にして債務整理へ
完全に自分を見失っていた僕。ただただ楽な仕事を探していたら、ひょんなことから占い師として働き始めます。
自分の人生すらままならいのに、5年間、人気No1占い師として活動してました。(ちなみに、当時は全く役に立たないと思っていましたが、この経験が意外と役に立ちました。人生は本当に何があるかわからない)
もちろん、ギャンブル漬けの毎日は変わらず、この頃の僕のお財布事情は、完全に自転車操業。
借りたお金で借金を返し、また借りるといった、典型的な破滅への道をひた走っていました。しかしこの自転車もあえなくこけ、とうとう僕は20代にして債務整理を行います。
そして、ココトモとの出会い
債務整理を行ったことで、借金はできなくなりましたが、それでもギャンブルが止まることはありませんでした。またこの頃に始めて、「ギャンブル依存症」という言葉を知ります。
しかし、僕は自分がギャンブル依存症ということを認められず、治療に踏み切れずにいました。
この時、28歳。無駄に年齢と借金だけを重ねてきた自分の人生。
順調にキャリアを重ね、結婚したり、人生の階段を登っていく周りと自分を比べてしまい、ギャンブルしていることを誰にもいえない自分。
そんなすさみきった時に出会ったのが、「ココトモ」の人達でした。
(*ココトモは、高円寺に自分のための居場所として、飲食店を作ったけれど、うつ病になってしまったゾノさんが作った無料相談サイトです。)
始めて本当の自分を打ち明けられる「仲間」をみつける
当時のココトモでは、不定期に悩みを話す会をやっており、そこに顔を出してみることにしました。
集まった人達が順番に自分の話をしていきます。
ある人は、うつ病で入院をしたこと、仕事をやめてしまったこと、不登校になったことなど、みんなが人生の悩みを話していきます。
僕は思いました。ここなら、もしかしたら、自分がギャンブル依存症であることを打ち明けても、受け止めてくれるんじゃないか。
でも、理解されるわけない。そんなの意思が弱いだけって笑われるだけだよ・・・。
サラ金に借金して、債務整理なんて、恥ずかしくないのか。
そんな葛藤のなか、いよいよ自分の番が周ってきました。
「僕は・・・、僕は・・、」
その次の一言が、声が震えてなかなか言い出せませんでした。
でも、きっとこの人達なら受け入れてくれる。勇気を振り絞って、声を出しました。
・・・・・・僕は、僕はギャンブル依存症でした
それから、せきをきったように、自分の人生にこれまで起こったことを話しました。
本当は、一番話したかったこと。一番わかってほしったことを。
そして何事もなく、また次の人が話し始めました。この日、僕はココトモで出会った人の車で家まで送ってもらいました。人生で一番暖かいドライブでした。
寂しいと思った時に、いつもそこにいてくれた。ココトモハウスの人達
ココトモで始めて、自分のことを話すことができ、また様々な転機があって、僕はそこから治療へと踏み切ることができました。(その後、スリップを繰り返しながら、現在は落ち着いた日々を過ごしています。)
とはいっても、まだ自分の普通の友達にはいうことはできませんでした。友達と楽しく話していても、
心の中では、まるで誰かを殺したことを黙っているかのように、いつも深い孤独の中にいました。
そんな僕が唯一正直に自分のことを話せた居場所、それがココトモから誕生した、ココトモハウスでした。
当時は、周りと自分を比べてばかりで強い劣等感を持っていた自分。でも、ココトモハウスにいけば、僕は自分を隠すことなく、正直にいることができました。どんな自分でも受け入れてくれる仲間がいる。ココトモハウスは、僕にとって唯一安らげる居場所だったのです。
僕がココトモハウスの管理人をやっている理由
そして今、利用者からスタッフになり、管理人としてココトモハウスに関わっています。人生で時間の使い方は色々あります。
そのなかで、ココトモハウスという活動をしているのは、何よりも自分が救われた場所だから、そして、自分が見てきた世界を大事にしたいという思いからです。
もし人生がやり直せるなら、僕はギャンブル依存症にならずに人生を送れたら、という気持ちもあります。でも、そのおかげで沢山の人達との出会いがありました。
優しくて、でも社会と繋がれない人達の姿。
生きずらさを抱えながら、諦めずに良くなろうとする姿。
きっと、”普通の生き方”をしていたら、見ることがなかった、たくさんの眩しい人達の姿を。
ココトモハウスは、そんな人達が心を休め、そしてまた明日に向かって頑張っていける居場所。正直な自分でいることを受け入れてくれる居場所です。僕はこれからも、そんなみんなの居場所を守っていきたいと思っています。
全ての人が生きやすい社会を
そして、ここからは僕個人の想いですが、ココトモハウスの活動を通じて伝えたいことは、「今生きずらさを感じている人達が、生きやすい社会ができれば、今生きている人達ももっと生きやすくなる」ということです。
これから少子高齢化を迎えようとしている社会で、もっとたくさんの人達が社会に繋がっていけるような環境が必要なのではないかと思っています。ココトモハウスの活動を通じて、そんなことを社会に発信していけたら嬉しいです。