こんにちは!ココトモハウス管理人のジョジョです。今日は先日行われた、『生きづらさを考える会』のレポートをお届けしたいと思います。
第1回の開催となりましたが、8名の方が集まってくれ、またLITALICOのセンター長さんも参加していただくなど、非常に有意義な会となりました。
突然ですが、皆さんは今の社会を生きやすいと思いますか?
きっと生きやすい人には生きやすいでしょう。でも生きづらい人にはとても生きづらい社会になって来ていると僕は感じています。
最近では、引きこもりの方が起こした凄惨な事件が話題になっていますね。
僕の中では、これは個人の魔がさしたという事件でも、サイコパスが引き起こしたものでもありません。
ひたすらに前だけをみて進んできて、そのために置き去りにさた人達。効率化、合理化を求める社会からこぼれおち、閉じ込められたエネルギーが今噴き出してきたんだ、僕にはそんな風に感じられました。
SNSをみても、あらゆる種類の生きづらさで溢れています。辛い、孤独、理解されない。
そんな沢山の声を毎日目にするのです。皆さんも、どうしようもなく生き辛い気持ちを誰かに吐き出したいと思った経験があるのではないでしょうか。
このレポートが、皆さんにとって自分の生きづらさとより深く向き合い、考えていくきっかけになれば嬉しいです。
- ◆目次
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1.【私達はなぜ生きづらいのか?】生きづらさを考える会で見えてきた、生きづらさの正体とは?
2.僕達の社会は本当に生きづらいのか?
3.生きずらさを考える会レポート
4.生きづらさは【社会的なもの】と、【個人的なもの】にわかれる
5.生きづらさの正体とは?
6.私達は生きづらさとどう向き合っていけばいいのか
7.あなたを助けてくれる人がいることを忘れないでください
【私達はなぜ生きづらいのか?】生きづらさを考える会で見えてきた、生きづらさの正体とは?
会のレポートをお届けする前に、幾つかお伝えしたいことがあります。まず一点は、僕が生きづらさについて考えたいと思った理由について。
僕が生きづらさについて考えたいと強く思ったのは、ココトモハウスで出会った、生きづらくても美しい人達がきっかけです。
丁寧すぎるために会社のスピードについていけなかったり、繊細すぎるために人間関係が上手くいかなかったり、普通に、むしろ普通より頑張ってひたむきに生きようとしているのに、うまくいかないという人をココトモハウスで沢山みてきました。
僕はそんな人達と接していくうちに、これは個人の努力が足りないということじゃなく、
そんな人達が生きづらい社会は、どこかおかしいんじゃないか?
そんな疑問を持つようになったのです。
僕達の社会は本当に生きづらいのか?
本題に入る前にもう一つ考えたいのは、僕達の社会は本当に生きづらくなっているのかということ。
最近、ひきこもりの事件が注目されたり、ロスジェネ世代が取り上げられたり、社会の関心がすこしずつ生きずらさに向いていることを感じています。
果たして、それがマスコミ特有のあおりなのか、それとも、私達の社会は本当に生きづらい世の中になっているのか。僕はまずこのことをしっかり考えたいと思いました。
生きづらさを数字で考える
生きづらさの尺度は人によって違うと思います。ただ、貧困だったり、ひきこもりなど、起こっている現象を数字で追うことで、ある程度、今の社会の姿が見えてくると思います。
例えば、相対的貧困率の推移は以下のようになっています。相対的貧困率は、簡単にいえば「生活が苦しい人の割合」ですが、右肩上がりに上がっているのがわかると思います。
もちろん、この数字だけで、貧困や格差が広がっている、と判断することはできませんが、自分達が感じている「生きづらさ」が社会のなかでどう表れているのか、考える視点は持っておいた方がいいと思います。
また、ひきこもりの人も増え続けています。数字でいえば、なんと10年の間に2倍以上に増えています。
これも、このグラフだけで断定的な判断はできませんが、客観的な事実として、社会とつながりを持てない人が、10年で2倍に増えた、ということは事実として認めていいと思います。
そして、少し悲しいデータなのですが、日本は、若者の自殺率が極めて高いです。
見てわかる通り、ピンクの線、20代の人の自殺率は上がり続けてます。
まとめると、
- 相対的貧困率は上がり続けている
- ひきこもりのひとは10年で2倍に増えている
- 若者の自殺率は上がり続けている
ということです。統計とは非常に複雑なものですから、このデータだけで、日本は生きづらくなっている、と僕はいうつもりはありません。
しかし、少なくとも、生きやすい社会に向かっている、とはいえない数字だと僕は思っています。
生きずらさを考える会レポート
では、少し前置きが長くなりましたが、いよいよ生きずらさを考える会のレポートをお伝えしていきたいと思います!
生きづらさの定義とは
この会の目的は、”生きずらさの言語化”です。生きづらさ、と一口にいっても、その意味や捉え方は異なってきます。そこで、集まっていただいた8名の皆さんに、自己紹介をおりまぜつつ、感じている生きずらさを話してもらいました。参加者の方は、
- 会社勤めができず、フリーでエンジニアをしている方
- 学習障害で文字が読めない方
- ひきこもりで人との関係が築けなかった方
などなど、様々な生きづらさを感じながら生きている人達でした。皆さんの話を聞いた結果、以下のような生きづらさを聞くことができました。
- 電車で怒っている人をみたり、利益第一主義だったり、社会の価値観が生きづらくなったと感じる
- 人が好きなのに、人と話すことが難しい。
- 学習障害で字が読めず、まったく学校に通えなかった
- 親にずっと支配されていた。自分の欲しいものは何もあたえられなかった
話を聞くことで、仕事や家庭、病気など、人それぞれに色んな生きづらさがあることがわかりました。また、こうして言葉にしてみることで、生きづらさの正体が少しずつ見えてきました。
生きづらさは【社会的なもの】と、【個人的なもの】にわかれる
皆さんの話を聞いた結果、生きづらさは大きくわけて、周りの環境による社会的なものと、個人がもつ性格や気質による、個人的なものに分かれていることがわかりました。
僕自身は、生きづらさは社会的なものとばかり思っていたのですが、生きづらさの原因が社会だけでなく、個人のなかにもあったことは新たな発見でした。
生きづらさを分類してみた!
続いて、生きづらさをいくつかのテーマに分類してみました。また、それぞれのテーマを、社会的なもの、個人的なものに分類します。
社会的な生きづらさのテーマ
社会的な生きづらさは、大きく分けて、仕事、お金、社会に分類しました。
仕事に感じる生きづらさ
・失敗すると機会がない
・自分に合わせた環境がない
・競争を求められる
仕事について感じる生きづらさは、1度失敗するとチャンスがないこと(新卒重視の採用)、年齢による選択肢の狭まりだったり、病気などによって選択肢がない、また効率を求められることによる競争などが挙げられました。
お金に感じる生きづらさ
・周りと比べてしまう
・お金がないことで我慢しなくてはいけない
お金に感じる生きづらさは、みんなが持っているものをもっておらず、周りと比べてしまうことだったり、お金がないことで我慢しなくてはいけないなど、お金がないことでの不自由さなどが挙げられました。
社会に感じる生きづらさ
・価値観が合わない
・異質なものは認められない
社会について感じるいきづらさは、資本主義によって評価される価値観だったり、異質なものは排除されるなど、周りに合わせなくてはいけない、という空気感などが挙げられました。
家庭に感じる生きずらさ
・親との関係
・支配的な環境
・周り言えない苦しさ
家庭については、両親との関係や、支配的な環境。またそういった状態にあっても周りに助けを求めることができない(言いづらい)ということが挙げられました。
個人的な生きづらさのテーマ
個人的な生きづらさは、大きく分けて、病気、気質、人間関係に分類しました。
病気に感じる生きづらさ
・学習障害
・うつ病
病気に関する生きづらさは、学習障害によって、学校の勉強になじめなかったり、
うつ病などの病気によって、社会とのつながりがなくなってしまう、などの生きづらさが挙げられました。
気質に感じる生きづらさ
・繊細すぎる
気質に感じるいきづらさは、繊細すぎるために、人との感覚が合わない、ということがあげられました。
人間関係に感じる生きづらさ
・深い関係になれない
・繋がれない
・人との会話がうまくできない
・安心感がない
人間関係に感じるいきづらさは、人と深い関係になれない。会話をすることが難しかったり、人と安心して話すことができない、などの生きづらさが挙げられました。
生きづらさの正体とは?
生きづらさを言語化することで、大分具体的に「生きづらさ」を捉えることができました。いよいよ、生きづらさの本質的な正体はなんなのか。僕なりに考えた考察を書いていきたいと思います。
社会的な生きづらさの原因は?キーワードは『箱』
僕が考えた社会的な生きづらさのキーワードは、ずばり『箱』です。
いきなり箱といわれて、なんのこっちゃい、という感じだと思いますので、説明させてください。
生きづらさを言語化し気づいたこと、それは僕達は社会のなかで、知らない内に、あらかじめ用意された『箱』に合わせるように仕向けられている、ということです。
仕事でいえば、自分に合わせた役割があるのではなく、あらかじめ用意された役割に自分が合わせていくことを求められます。
その他、性別も同じです。身体的に男性に生まれたら、男性としてふるまう役割を求められます。
今の社会では、それぞれの個性に合わせた場所が用意されているのではなく、あらかじめ用意された役割という箱のなかにはまっていかなくては、社会と繋がることはできないと僕は感じたのです。
では、その『箱』は誰がつくっているのか。それは”生きやすい人達”です。生きやすい人達は、自分達が生きやすいようにどんどん”箱”を作っていきます。
結果、生きやすい人達はますます生きやすくなり、生きづらい人達はますます生きづらくなっている、という循環がうまれていると僕は考えます。
個人的な生きづらさの原因は?キーワードは『繋がり』
個人的な生きづらさのキーワードは『繋がり』です。
個人的な生きづらさというのは、気質だったり、心だったりと、抽象的な部分が大きいものですが、その中でも特に感じたのは、個人的な生きづらさを感じている人は、『繋がり』を感じられずにいたということです。
例えば、家庭環境での生きずらさは、両親と適切な繋がりをつくれないことだったり、
また、助けてくれる支援者と繋がれないこと。
人間関係でいえば、人と深く繋がることができないということが、個人的な生きづらさを生み出していることがわかりました。
生きづらさは繋がっているが、支援はばらばらに行われる
生きづらさを言語化してわかったこと、それは生きづらさはそれぞれがばらばらにみえて繋がっているということ。
例えば、支配的な家庭環境や親との関係は、対人関係に大きな影響を与えます。
また仕事での生きづらさによって、仕事と離れると、お金も手に入らず、お金に関するいきづらさが生まれます。生きづらさというものは、一つ生まれると、また別の生きづらさと繋がってしまう可能性があるのです。
また、生きづらさは繋がっているにも関わらず、支援がばらばらに行われている、という点もわかりました。
例えば、病気をもっている人は病院で治療はできますが、心の繋がりは病院では手に入りません。仕事を探しにハローワークにいっても、障害の診断をしてくれるわけではありません。
最近では、横断的な支援がみられている部分もありますが、まだまだ支援は分断されているのです。
私達は生きづらさとどう向き合っていけばいいのか
では、私達は生きづらさとどう向き合っていけばいいのか。LITALICOセンター長の米須さんの話を引用したいと思います。
LITALICOでは、障害を持っている人を障害者とはいいません。”障害のある人”と表現します。例えば車いすの人が駅の階段を登ろうとしたとき、そこにエレベーターがあれば障害はなくなります。
障害とは、その人が悪いのではなく、あくまでも環境によってつくられているものと考えます。もちろん、環境は全部自分にとって優しいわけではありません。ですから、変えられること、変えられないことをしっかりと分けて考えることが大事なのです。
生きづらさは、個人と社会の中にあります。
個人の中で変わっていくことができるものは変えていき、そして社会の中で変えられないものは、様々な資源と繋がったり、自分自身がうまく適応できる環境をさがしていくことが、生きづらさを解消していくコツなのかもしれません。
また、生きづらさを自分だけが悪いんだと思わないことも大事だと思います。あなたには、この世の中を幸せに生きる権利があります。もし自分が頑張ってもそれを解決できないと思うなら、僕達はそれを伝えていくこと、また時にはダイナミックに社会に働きかけていくことも、大切なことです。
あなたを助けてくれる人がいることを忘れないでください
もしも今、あなたが生きていくことが辛いと感じているのなら、どうかそこに寄り添い、あなたを助けたいと願っている人達がいることを忘れないでください。
あなたと同じ経験をしたり、同じ思いをしている人はきっといます。
そしてそんなあなたを仲間として迎え入れ、共に生きようと言ってくれる人は
必ず見つかります。
あなたに必要なことは、生きづらさに1人で立ち向かうことではありません。
あなたの辛い、苦しいという思いを、どうか我慢せずに伝えて下さい。
きっとあなたを助けてくれる人が見つかります。もちろん私も、ココトモハウスも、いつでもあなたのことを待っています。