突然ですが、あなたは「頑張れ」という言葉は好きですか?
僕はこれまで何百回も「頑張れ」と言われてきました。
そして、自分だけでなく、今苦しんでいる人にも沢山「頑張れ」と言ってきました。
なぜなら、自分がなりたい自分があるなら、そのためには頑張ることが必要だと思っていたからです。
でも、最近ふと不思議に思うことがありました。
頑張らなくてもよくなるために頑張っている
はずなのに、なぜいつも僕達は頑張ってるんだろう、と。
誰かに「頑張れ」と言おうとするとき、この人は今苦しくてすでにこんなに頑張っているのに、まだ頑張らなきゃいけないのかな。と思う様になりました。
頑張ることに苦しんだことがある方は、ぜひ頑張ることについて考えてもらえたらと思います。
頑張るとは何か
始めに考えたいこと、それは「頑張る」ということがどういうことか。
みなさんは、どう思いますか?
一般的には、がむしゃらに、ひたむきに、何かに取り組んでいるイメージでしょうか。
「頑張る」という言葉の意味を考えた時、僕の頭に浮かんだのは、”うさぎと亀”の話です。
みなさんご存知だと思いますが、うさぎと亀は、足の速いうさぎと足が遅い亀がやまのふもとまで競争し、うさぎが昼寝をしている間に、亀が先にゴールし、うさぎは勝負に負けてしまう、というあの有名な話です。
この話では、亀がこつこつ努力した頑張り者で、うさぎは怠け者とされていますが、しかし、本当にウサギは怠け者なのか、僕には府に落ちない点があります。
それは、うさぎはたまたま足が速かったというだけで、2人が走った距離はまったく同じなのに、うさぎが怠け者だと世間からは思われていることです。
走った距離は同じなのに、どうして亀は頑張り者で、うさぎは怠け者になってしまうのか。
煮詰まった僕は、「頑張る」という言葉を辞書で引いてみました。
すると、以下の様に記載がありました。
〔「我(が)に張る」または「眼(がん)張る」の転という。「頑張る」は当て字〕
➀ あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。
➁ 自分の意見を強く押し通す。我を張る。
➂ ある場所を占めて、動こうとしない。
「頑張る」を➀の意味でとらえれば、確かに亀は困難な競争に挑戦し、頑張ったといえます。
しかし、➁番や➂番の意味であれば、ウサギも自分の気持ちを押し通したという意味では、まさしく頑張ったといえるのではないでしょうか。
「頑張る」は自分の中にあるもの
意味通りであれば、ウサギと亀の話で頑張ったはずのウサギは、なぜ怠け者にされてしまうのか。
色々考えた結果、「頑張る」ことは本来自分の心の中にあることのはずなのに、「頑張る」基準を他人の軸に合わせてしまうから、という結論にいきつきました。
他人からの「頑張れ」が苦しいのは、まさしく頑張ることの基準が他人軸に合わさっているからではないでしょうか。
他人からの「頑張れ」という言葉に、「自分はもう十分に頑張っているのに、なんでわかってくれないんだろう」、と心が苦しくなったことがあります。
もちろん、「頑張れ」と声をかけた方は、追い詰めるつもりで言ったものではないかもしれません。でも、頑張っているかどうかは自分で決めること。
もしも他人からの「頑張れ」を苦しく感じてしまう人は、このことを思い出してみて下さい。
私達は頑張らなくては幸せにはなれないのか?
そして、「頑張る」について、もう一つ考えたいことがあります。
それは、私達が幸せになるためには、いつも困難に立ち向かい、そして苦しい思いをして、頑張らなくてはいけないのかということです。
世間の成功者と言われる人達は、みんな頑張って尋常ならざる努力をしているようにみえます。
トップアスリートや、第一線でしのぎをけずるビジネスマン達は、それこそ凡人には途方もつかないほどの困難に立ち向かっていることでしょう。
では、幸せや成功は頑張らないと手に入らないものなのでしょうか。
ここで紹介したいのが、「嫌なこと、全部やめても生きられる」の著者、プロ奢ラレヤーさんです。プロ奢ラレヤーさんは、働くことが嫌すぎて、他人からの奢りだけで生活しています。
それも、自分から奢って欲しいと頼んで回っているのではなく、彼に奢りたいという人が自ら奢りにくるのです。
当たり前ですが、プロ奢ラレヤーさんの辞書には「頑張る」という文字は皆無です。仕事はしてませんし、何かを目指してもいません。今自分が好きなように、好きなことをして生きてます。
好きなことをした体験を販売し、金銭的にも満たされています。当たり前ですが、好きなことしかしてないので、生きづらさもなく、とても幸せそうにみえます。
僕は人は頑張らなくては幸せになれない、そう思っていましたが、プロ奢ラレヤーさんを知って、その考えは変わりました。
頑張らなくても、幸せになる方法が確かに存在しているのです。
あなたの人生に目的地はどこですか?
では一体どうすれば、頑張らずに幸せになれるのか。
プロ奢ラレヤーさんの生き方を知って、思ったことがあります。
それは「流れに逆らわなければ、人は頑張らなくても幸せになれる」ということです。
プロ奢ラレヤーさんは、常に自分が手にできる幸せを求めてきました。
風に流されていく船のように、逆らわず、流れのままに生きること。
これこそが頑張らずに幸せを掴む秘訣です。
例えば人生を海に例え、そしてあなた自身をヨットだとしましょう。今あなたは、人生の大海原を一隻のヨットにのって漕ぎ出します。
そこでもし、あなたが流れてくる風にさからい進もうとするのなら、それはとても困難な道になります。
しかし、もしあなたの人生の目的地が風下にあったのであれば、あなたはヨットを風の流れに任せ動かしていけばいい。追い風にのっているだけで、ヨットは目的地へと流れ着くでしょう。
つまり、あなたが幸せになるために頑張らなくてはいけないかどうかは、目指す目的地が風上にあるか、それそも風下にあるか次第なのです。
答えはないけれど、色々な生き方があることを知っておこう
プロ奢ラレヤーさんの本を読んだとき、僕はふと昔のことを思い出しました。
僕がパチンコ屋で働いていた時、明け方まで上司と仕事をし、店をでたところに、一人のホームレスがいたんです。
ホームレスの人は、ぼろぼろの袋を大事そうに抱えて、僕達の目の前を通り過ぎていきました。
その時、上司がこんなことを言いました。「俺も将来、あんな生き方をしてみたいな。あのぼろぼろの袋も、あの人には大事なものなんだろうな。」
当時は、そんな生き方絶対やだ!と思いました。
でも今なら少しわかります。他人に使われて朝まであくせく働くより、貧乏でも、自分の大切なものと自由にいきたい、きっとそんな上司の願望だったんじゃないかと。
心に風を吹かせよう
とはいっても現実的には、いつも流れるように生きていくことは難しい、と多くの人が考えているのではないでしょうか。
例えば、痩せたいと思えば運動したり、食べることを我慢する必要があるし、働きたくないけど、大抵は働かなくてはお金は手に入りません。
プロ奢ラレヤーさんのように、「嫌なことをするくらいなら辞めてしまえばいい」そんな風に踏み切れる人はなかなかいないのではないのではないかと思います。
それでも、ちょっとした考え方次第で頑張らずに幸せになることは可能です。
あなたの目指す目的地への道のりが、向かい風となるか、追い風が味方をしてくれるかどうかは、目的地がどこかではなく、あなたの心が決めることだからです。
例えば、ダイエットがしんどいときは痩せた後の自分が得るものを考えます。苦しい運動も、スリムで理想の身体を手にできるのだと思えば、そのための苦しさは目的地により近づいている証拠です。
そう考えることで、苦しさは心地よい達成感に変わっていきます。
目の前にある困難を、自分の成長の糧と考え、取り組むことで、あなたの心の中には、自分を勇気づける追い風が吹くのです。
その頑張りは誰のためのものですか?
そのためにも大切なことは、しっかりと自分軸で頑張ることです。
上司のため、親のため、誰かに気に入られるため。他人のために頑張っても、それを評価するのは他人です。
もし頑張りが認められれば、もちろん本人にとっても嬉しいことです。
しかし、他人軸で頑張っていると、目的地を見失ったり、自分がどこにいるかわからなくなってしまいます。
少しの間なら、それでもうまくいくでしょう。
しかしいつまでも他人軸で頑張ることを続けていると、いつかはそれを受け止めることが出来なくなり、限界が訪れます。
頑張ることが苦しくなったら、その頑張りは誰のためのものなのか思い出してみて下さい。
誰かのためではなく、まず自分のために頑張ることが、幸せへの近道です。
終わりに
今日は頑張ることの苦しさについて考えてみました。
もし頑張るという言葉に苦しんでいる人がいたら、本記事を参考に、あなたはちゃんと頑張っているんだよ、ということを思い出してくれたら嬉しいです。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。