こんにちはー!
自粛でもっぱら一日パジャマのザネです。
いいパジャマあったら教えてください~♪
ここ最近、オンラインのココトモハウスのスタッフを3回してみて、分かったことがあります。
ずっと感じてた、「来てくれた人への、お礼」への違和感。
「私がみんなに、来てくれてありがとうって言うの、なんか変じゃない?だって私のために来ているわけではないぞ、きっとみんなは。自分のディナーショーにお金払って来てくれているかのようなテンションで、何お礼言ってんだよ私は!!!」という違和感があったんです。
でも、
「いややっぱ、ありがとうしかない!やん!」
3回運営してみて「来てくれてありがとうの中身」がなんとなく分かりました。
■オンラインココトモハウスを運営する前…
実は、めっっっちゃ不安。(ぶっちゃけ)
初回は、スタッフのおざさんに一緒にやらない?と誘ってもらってようやくチャレンジできました。一人ではびびって主催できないのです。
なぜ不安だったのか。
それは、
●相手の表情が見えない
●グループに分かれることができない
この2つの理由が大きかった。
自分が話している間、誰かが話している間、みんなの表情が分からないから
「もしかしたら退屈している?」
「何か傷ついていない?」
「話したいことがある顔をしているのでは?」
という私の気にしすぎが発動するから。
自分がうまく話せるか、みんなに満足してもらえるか不安だったのです。
■そんななかチャレンジした初回は…
あせあせしてました。
気にしすぎが爆発的に炸裂!!!!
途中から入ってきてくれた人への声かけのタイミングが気になるところから…
話し始めても、
こんな感じでいいのかい、ねぇ、大丈夫かい?うん、大丈夫。いやいや、みんなは大丈夫?いや、顔見えないから分からないよ…あ、でも顔が見えてるあの人は笑ってくれてるよ、だからうん、大丈夫だよね?
と、脳内の私が、つべこべあれやこれや気にかけているんです。
でもね、最後、救われたんです。
終了時間5分前くらいから感想を言ってもらったとき、
「こんな場があってよかった」
「一人じゃないを実感できる」
「心強く感じた」
それを聞いたらもう、「うわぁぁありがとう」しか口から出なくなりました。
違和感はあるものの、ありがとうって言っていました。
オンライン中はハイですが、そのあと、どっと疲れてます。
そんなこと言うならやらなきゃいいじゃない。と脳内の理屈ばかりの私がうるさいんですが…。
■それでもやっちゃうオンラインのココトモハウス
その後は、オンラインハイになり、週に2度運営しちゃいました★
初回よりはゆる~く、気を楽に。
顔見知りさん、初めてさん、お久しぶりさん、なんかいろんな出逢いがありました。
誰かの話を聞くのも、好きなことの話を聞くのも、すっごくワクワクする。
(※別ブログで当日の様子を書く予定です!)
だんだん気にしすぎな私も、少しずつこの環境に慣れてきたかも…という感覚がありました。
でもね、3回目でもやっぱり終わったら、ふぅ~って眠くなったんだよ。
じゃあ、もうやらないの?いや、多分、またやるの。
オンラインの最後の「またね~!」「来てよかった」が最高に、「サイコー!!!」って言いたくなるくらい嬉しいから!!!
何なのコレ。この感じ。
すっごく楽しくてなんか生きててよかった~って毎回思うけども、好きで疲れに行くって、どういうことよ!
……は!!!
コレ、フルマラソン走る人の気持ちと…..同じ感じなんじゃない!?私マラソン向いてる…!?(甘く見んな!と言われそう。笑)
■「来てくれて、ありがとう」の中身
違和感だった、来てくれた人へのお礼。
そのありがとうの正体は、
「今日1日のこの時間を、信じて選んでここに来てくれてありがとう」
「あなたが来てくれたから優しい時間が過ごせました、ありがとう」
ってことかなと。
今思えば、簡単なことだった。
大学時代やよい軒でバイトしてたとき「ありがとうございましたー!」って言ってた感じと同じだった。
「お金を払ってくれてありがとう」じゃない。
「今日のこの日のごはんの時間を、ここを選んでくれてありがとう!」
外国の観光客の方が来た時は
「数少ない日本食を食べるチャンスに、ここにきくれてる…ありがとう!」って、もうすこぶる嬉しかった。
あ、そうか、「ありがとう」を言っちゃうってことは、「ココトモハウス」のこと、私、すっごく好きなんだな。これ書いてて気づいた。
オンラインココトモハウスの最後の感想を聞いたときに生まれる「ありがとう」はもっと複雑なもので、
「“この時間を過ごせてよかった”って言ってくれてありがとう!お世辞でも社交辞令でも、今この場を暖かくする言葉を言ってくれる“心”がもうありがとう!←超ド級ひねくれ者だけど結局たどり着くのはありがとう!」
って感じ。
不安に包まれた私をまるごと包んで安心させてくれるかのような、みんなの優しい声が、心に沁みます。
■あとがき
オンラインでもリアルでも、回を重ねるごとに私がココトモハウスを好きな理由がだんだん見えてくる…
ココトモハウスでも、どこでも、
誰かが作った居場所は、そこに「来る人」が作っているものだと思います。
にぎやかな居酒屋は、店主が賑やかだから…というのもあるかもしれないけれど、
そこに集まる賑やかな人が雰囲気を作っているし、おしゃれなスタバは、そこに来るオシャレな人たちがその空間を作っているし。
ココトモハウスに来る人は、
“この空間をやさしいものにしよう”という気持ちがあるんじゃないかな?
だからかな、私にとっては、とても心地よい居場所になっています。
“みんなに心地よい”“みんなにやさしい”ってすっごく難しいことで、たぶん無理に近いことだとは思うんだけど…
目の前の人は、心根に「やさしくありたい」がある人で…やさしさの表現方法は様々だということを理解できていれば、何か「?」と思うことがあっても「その人流のやさしさかもしれないな」と思えたら、それは自分にとっての心地よさになるかもなぁって。(うーーーん表現難しい、意味わかんないね★)
6月からはなんだか、ハウスに集まれそうな、予感!
なんか緊張しちゃう!
久しぶりの再会に向けて、ダイエットのため夜少し走り始めた、ザネでした☆(おっフルマラソン行けるか~!?いや行けないしハーフでも行かない!)