完璧じゃないからこそ愛おしい!

みなさん、こんばんは!

街はチョコレート一色ですが一人ポップコーンにハマっています、スタッフのアリです(–ω–)

今日のハウスには、短い営業時間にもかかわらず、たくさんの方がお越しくださいました^ ^(ありがたや〜!)利用者さんが地元・栃木から買ってきてくださったイチゴ大福はあっという間になくなり、わたしが買っていった100円ショップクオリティーのチョコレート群はまだまだ全然残っているので明日遊びにいらした方は是非召し上がってくださいね(–ω–)♥

さて!今日のハウスでは、前半は、学校や教育のお話をしました。そして後半は、ある方のある恋のお話しについて、みんなで輪になって語り合いました^ ^ 初めて会うときは緊張してしまうし、デート後のメールに何て返信すればいいのかってわからないでよね。相手のことを思いやっているからこそのことだと思いました。そんな中、人って完璧じゃないからこそ愛情が生まれるのかなって、一人ひそかに思っていました。

好きな人や気になっている人の前で、緊張せずに自分の素敵な部分ばかりを見せることができたら、そして悩まずにいられたら、そりゃあいいかもしれないですけど、でも人間ってそんなにシンプルにはできていませんよね。緊張しないようにしたって緊張するし、どうしたって悩むものは悩みます。かくいう、わたしも不完全を絵に描いたような人間なので、緊張しないように1分前に深呼吸していたとしても、ふと気がついたらばっくんばっくんしていたり、イメージの中ではクールにきめていたとしても、実際にやってみたらカッコ悪い失敗の連続だったり。でもその「完璧じゃない部分」って、誰かにとっての「愛しい部分」にもなると思うんです。逆に言えば、その「完璧じゃない部分」がなかったら、誰かにとっては完璧じゃなかったり。何が完璧かって、人によって違うと思うんです。

うちは、父親が頑固で我慢強くて弱音を吐かないザ・東北人の人だったので、わたしは男の人が弱音を吐いたり涙を流したりする姿を見ると、ものすごく惹かれます。こう、なんていうか、こう、喉の奥をぎゅ〜っとつかまれるような?感覚になります(無視してください笑)男の人に限らず、同性でもそうです。「こうあるべき」とか「こう見られたい」いうものを超えたところにある、弱い部分も汚い部分も全部含めた姿で生きている人に遭遇すると、清々しくてカッコいいな〜って魅力を感じます。世間一般的には、強くて弱音を吐かない人が完璧なのかもしれないけど、自分にとってはその真逆で、自分を大きく見せないで弱音を吐いて生きている人こそが完璧な人です。

だから、わたしは個人的に、どこかの誰かが勝手に作った「世間一般的な完璧像」にとらわれる必要なんて全くないと思います。「お互いにとって完璧かどうか」こそが大切な気がします。

その、パズルがぴったりはまるような感覚の、たった一人の人は、誰にでも存在すると思います。ロマンチストだと笑われてしまうかもしれないけど、結構本気でそう思っています。

 

これからも、悩んだ時には、みんなで弱音や愚痴を吐き合って、心のデトックスをしましょうね〜!

また皆さんとお話しできるのを楽しみにしています。

暖かくしておやすみくださいね(^^)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA