一歩止まるのも、一歩進むのも、勇気ある行動である。

今日はしとしと雨の中、一人一人の方とじっくり向き合う時間となりました。

印象深いのが、訪れた方のある言葉。
「自分の“地図”が広がっていく」

これは、知らない道を歩くのが好きだという方に、その魅力について訊いていた時にでてきた言葉です。
今までは知らない道だったものが、どんどん自分の中に、知っている道として蓄積されていく。
わたしの中に、わたしだけの「地図」が描かれてゆく。
なんだか、とってもステキな響きではありませんか?

その方は感受性が強いことに悩んでいて、満員電車や人混みではいつも苦労しているそうです。
特にハウスには、そういった、センサーが周りの人よりも敏感で、すこし生きづらくなってしまっている方が多くいらっしゃいます。
かくいうわたしもその一人で、今日来た方の中でも共感されている方がいました。

しかし、感受性が強いことを自分の特性として理解し、電車でも少しでも楽な位置をさがしたり、外で少しでも楽になれる場所をさがしたりしているのだそう。

「感受性が強い」ということ自体は、単なる「要素」であって、悪いものでも良いものでもありません。
大切なのは、自分が持っている要素を理解し、それに合わせた生活スタイルや生き方、働き方を模索していくことなのではないでしょうか。

「〇〇だからダメ」と、わたしたちは自分にすぐバッテンをつけてしまいがち。
でも、一見短所にしか思えないものであっても、ひょっとしたらどこかで役に立つかもしれません。

四六時中付き合っていくしかない「自分」だから、嫌な部分を受け入れるのは大変ですよね。
だからこそ、今日お話しした方が「自分の要素に合わせた過ごし方」を取り入れていて、すごいなぁと感じました。
わたしも、自分にバッテンばかりつけていないで、そんな自分だからこその生き方を見つけていきたいです。

夜には人も減って、ある方と二人で話していたのですが、なんとその方は大学を辞めるかもしれないと悩んでいるようで。
わたしも同じ立場なので、「こういうこと言われるとつらいよね」「自分で責めちゃうから、受け入れてもらえると余計嬉しいよね」など、様々な感情を共有しあいました。
やはり、同じ経験をした方や同じ場所にいる方と話すのは、すごくタメになりますね。
わたしのふとした言葉をすごく真剣に受け止めてくれていたり、相手のちょっとした一言にわたしが救われていたりと、とてもあたたかい時間を過ごせました。

大学を辞めるというと、聞こえは悪いかもしれません。
その方も、「ネット上では、大学に行けないのは甘えだという意見も聞いた」とおっしゃっていて、胸が痛みました。

学生用の相談室に行ってみたり、ハウスのような場所を探して行ってみたり、その方はいろいろなことに挑戦しています。
その「一歩進んでみる勇気」って、当たり前にあるものではないですよね。
一歩進んだ先の道が、幸せにつながっているとはかぎらないのですから。

わたしには、学生相談室に行った結果うまく相談員の理解を得られず、傷ついた過去があります。
そうなると、「やらなきゃよかった」なんて感情が芽生えてくる方も多いのではないでしょうか。

しかし実際には、「一歩進んだ」ことこそに価値があるのです。
今日、お試しスタッフをしていた「アリ」さんが、「悪いことをしていても、“行動しているから良い”という考え方もある」とおっしゃっていました。
これは、悪いところばかりの人達を比較し、あえて好印象を持つ人から挙げていくという内容の講義についてだったので、少し本題からは逸れてしまうかもしれませんが、どんな結果だったにせよ、「行動する」「一歩踏み出す」のが素晴らしいことであるのにはかわりありません。

一方で、「一歩止まる」というのは、「逃げ」「甘え」なんて言葉で表されてしまうことも多いですよね。
しかし、止まるのも素晴らしいことです。
止まるということは、今いる場所を把握するということ。今いる場所が分かるからこそ、これからどの方向に進めばいいのか、自分が歩もうとしている道は本当に正しいのかを確かめられるのです。

止まるのも、進むのも、勇気ある素晴らしい行動です。
そして、たとえその行動をとったがゆえに新たな悩みがうまれてしまったとしても、その行動が失敗に終わったとしても、それは恥ずべきことではありません。
休みたいなら、休めばいい。進んでみたいなら、進んだらいい。
結果がどうなろうとも、あなたが選んだ行動は、素晴らしいものなのだから。

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