「自分を愛する」と「相手を愛する」はどちらが先か?

今日ははやい時間帯からさまざまな人が訪れてくださり、昼間はわいわい盛り上がり、夜はしっとり語り合う1日でした。

様々な話題でお話ししましたが、特に考えさせられたのは、「自分を愛する」ことと「相手を愛する」ことの順番についての話。

「自分を愛せないと、ひとのことは愛せない」
聞いたことのある人は多いと思います。

たしかに、そんな一面もあるのかもしれません。
でも、ほんとうにそうでしょうか。

ハウスには、自らのことを大切にできず苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいます。
自らのことを大切にしていいのか分からず、自分にそんな価値があるのかどうかが分からず、苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいます。

しかし、その中には、「だからこそ、人の役に立ちたい」と思っている方もたくさんいるのです。

もちろん、自己犠牲をしてまで人に尽くすのは、後々しんどくなってしまうと思います。
でも、たとえば物を拾ったり、席を譲ったりするような、自分の余裕の範囲内でできることをしていくのであれば、それをきっかけとして自分を愛せるようになるのかもしれません。

大切なのは、自分の中に「愛情」を育むこと。
その対象が、自分だろうが、目の前の相手だろうが、名前も知らない誰かだろうが、ひと以外の生きものだろうが、それ以外のなんだろうがかまわないのではないでしょうか。

なにかを愛せるということは、なにかのために動けるということは、それだけでもう素晴らしいことなのですから。

また、今日は引きこもり支援の活動をしている方がいて、自己主張と空気を読むことのバランスについての難しさについても話しました。

その方は、引きこもり支援の関係で、引きこもりで悩んでいる方や、その親御さんと話す機会も多いのだそう。
そして、その方自身も、学生の頃に引きこもりなどで悩んできたのだといいます。

自分が過去経験したことのある悩みや苦しみと同じようなことで悩んでいる人がいると、「今は苦しいかもしれないけど、こんな未来が待っているかもしれないよ」とか、「こういうこと苦しいよね、つらいよね」とか、「自分はこんなことしたら状況が良くなったよ」とか、ついつい伝えたくなってしまうんですよね。
わたしもハウスでスタッフをやったり相談に乗ったりする中で、そう感じることがあります。

そういったメッセージを一旦堪えて、まずは相手の話を「聴く」こと。
それは、想像以上に難しいことなのだと思います。

もしかしたら、途中でこらえきれずに伝えて悩んだり、ほんとうはアドバイスするべきだったんじゃないかと悩んだりすることもあるかもしれません。

でも、聴くに注力しようが、アドバイスを伝えようが、共感しようが、相手が楽になるかどうかはやってみないと分かりません。
どれを取るかということよりも、「相手にどれだけ寄り添おうとできるか」が大切なのだと思います。

たとえその結果起こした行動が相手に響かなかったとしても、「自分のために一生懸命考えてくれる人」「自分の心に寄り添い、大切に思ってくれる人」の存在は、ありがたくて、いつかその人の心の支えになってくれるのではないかなぁ……。

ハウスが、わたしたちが、あなたさまにとって、そんな存在であれれば嬉しいです。

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